「矢田庄」は、大和郡山市矢田町あたりに存在した荘園で、富雄川の支流に沿って広がっていた。北に位置する鳥見庄と一体として取り扱われることが多いという特徴を持っている。寺門段銭の台帳によれば、その面積は七十九町で、大和の荘園の中では比較的大きな部類に入る。
続きを読む根尾氏(大和根尾氏)
「根尾氏」は、生馬庄を本拠とした大和の在地武士である。興福寺一乗院の荘園である生馬庄の下司職を務め、僧侶として興福寺の法会にも度々参加していた。このようなことから、根尾氏は、「衆徒」の家格を持ち、「一乗院」に属する在地武士(国衆)であったと考えられる。
続きを読む矢田氏(大和矢田氏)
「矢田氏」は矢田庄を本拠とした大和の在地武士である。矢田氏関する史料は、鎌倉時代後期や南北朝時代にも散見され、鎌倉時代には既に矢田氏を名乗り、この地域で活動していたことが確認できる。室町時代には矢田庄の下司職を務め、衆徒の家格を持っていた。
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