Historians Club

戦国時代・国衆・荘園など奈良(大和)の歴史情報

矢田庄

 「矢田庄」は、大和郡山市矢田町あたりに存在した荘園で、富雄川の支流に沿って広がっていた。北に位置する鳥見庄と一体として取り扱われることが多いという特徴を持っている。寺門段銭の台帳によれば、その面積は七十九町で、大和の荘園の中では比較的大きな部類に入る。

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根尾氏(大和根尾氏)

 「根尾氏」は、生馬庄を本拠とした大和の在地武士である。興福寺一乗院の荘園である生馬庄の下司職を務め、僧侶として興福寺の法会にも度々参加していた。このようなことから、根尾氏は、「衆徒」の家格を持ち、「一乗院」に属する在地武士(国衆)であったと考えられる

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生馬庄(生駒庄)

 「生馬庄」は、生駒市に存在した荘園である。地域的言えば生駒市の南半分にあたり、竜田川の流域に広がっていた。この地域には、興福寺一乗院と仁和寺がそれぞれに所有する二つの生馬庄があった。史料上での表記は、現在の地名表記の生駒とは異なり、生馬と書かれているものがほとんどである。

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中鳥見庄(三碓庄)

 「中鳥見庄」は、奈良市三碓あたりに存在した荘園で、富雄川中流域にあった三つの荘園のうちの一つである。鳥見庄や上鳥見庄が興福寺の荘園であったのに対し、中鳥見庄は京都の仁和寺の荘園であった。同時に興福寺の収益権も設定されるなど、権利関係が複雑な荘園でもあった。

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上鳥見庄

 「上鳥見庄」は、生駒市上町、鹿畑町、奈良市二名町あたり存在した荘園で、富雄川中流域にあった三つの荘園のうちの一つである。鎌倉時代以前の史料がなく、荘園が成立した経緯などはよく分からないが、室町時代には複数の所有者が分割して所有する荘園となっていた。

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鳥見福西氏

 「鳥見福西氏」は大和の在地武士である。大和の国衆(在地武士)に関する有名な史料で、「大乗院寺社雑事記」康正三年(一四五七年)四月二十八日の、一乗院と大乗院に属する衆徒・国民の一覧に名前が記載されていることから、鳥見地方の代表的な在地武士と見なされている。

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矢田氏(大和矢田氏)

 「矢田氏」は矢田庄を本拠とした大和の在地武士である。矢田氏関する史料は、鎌倉時代後期や南北朝時代にも散見され、鎌倉時代には既に矢田氏を名乗り、この地域で活動していたことが確認できる。室町時代には矢田庄の下司職を務め、衆徒の家格を持っていた。

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