Historians Club

戦国時代・国衆・荘園など奈良(大和)の歴史情報

荘園(大和北西部)

大和北西部の荘園について。

矢田庄

「矢田庄」は、大和郡山市矢田町あたりに存在した荘園で、富雄川の支流に沿って広がっていた。北に位置する鳥見庄と一体として取り扱われることが多いという特徴を持っている。寺門段銭の台帳によれば、その面積は七十九町で、大和の荘園の中では比較的大き…

生馬庄(生駒庄)

「生馬庄」は、生駒市に存在した荘園である。地域的言えば生駒市の南半分にあたり、竜田川の流域に広がっていた。この地域には、興福寺一乗院と仁和寺がそれぞれに所有する二つの生馬庄があった。史料上での表記は、現在の地名表記の生駒とは異なり、生馬と…

中鳥見庄(三碓庄)

「中鳥見庄」は、奈良市三碓あたりに存在した荘園で、富雄川中流域にあった三つの荘園のうちの一つである。鳥見庄や上鳥見庄が興福寺の荘園であったのに対し、中鳥見庄は京都の仁和寺の荘園であった。同時に興福寺の収益権も設定されるなど、権利関係が複雑…

上鳥見庄

「上鳥見庄」は、生駒市上町、鹿畑町、奈良市二名町あたり存在した荘園で、富雄川中流域にあった三つの荘園のうちの一つである。鎌倉時代以前の史料がなく、荘園が成立した経緯などはよく分からないが、室町時代には複数の所有者が分割して所有する荘園とな…

鳥見庄

「鳥見庄」は、奈良市中町、大和田町、石木町あたりに存在した荘園で、富雄川中流域にあった三つの荘園のうちの一つである。大和でも有数の大規模な荘園で、鳥見庄の歴史は、大和をめぐる政治・軍事情勢の変化のみならず、日本史の大きな出来事の影響を受け…